夢のない国(2)

最近、ある地域活動をしている方々の集まりで、都内のある小学校のこんな話を聞きました。

「8時15分から25分の10分間に教室に入れるよう登校しなければならいというルールがあるんです。もし、それより早く登校した場合は昇降口で学年ごとに、校帽をかぶったまま整然と並んで待つのが決まり。校庭で遊んでも、教室に入ってもダメ」

絶句する私をよそに、他の人から「家の近所の学校も!」という声がいくつも上がりました。

まるで軍事訓練です。いったいなぜ? ある保護者はこう推測します。

「たぶん、安全の問題だと思います。まだ先生たちも教室にいないし、目の行き届かないところで何かあれば困るから、『おとなしくじーっとしていて欲しい』ということなのではないでしょうか」

またもやおとなの都合優先! こうやって子どもの欲求を潰していくのです。

子どもらしさを削がれた子ども

カウンセリングの場でも、「登下校中の子どもの問題行動」として、「一列に並べない」とか「興味があるものがあると立ち止まる」とか、「友達と大声ではしゃぐ」などがあがることがあります。

そのいったい何がいけないのか? 首をかしげるばかりです。子どもは道草をくったり、興味のあるものに惹かれたり、はしゃいだりするものです。それが「子どもらしさ」です。興味関心が子どもの好奇心を育て、生きる力につながります。

うちの近所でも登校時の私語が禁じられているのか、無言で静々と並んで歩く小学生を見かけます。まるで葬式の参列のようで、いつも心配になります。

黙って従う国民づくりのリハーサル

もう数十年前になりますが、法律の専門家から「校則は馬鹿馬鹿しいほどいい。馬鹿馬鹿しいルールにも黙って従い、お上(上司や行政)の言うことには『はい』と言っておとなしく従う国民をつくるためのリハーサルだから」と聞き、膝を打ったことがあります。

実は校則の存在は、私にとって長い間、謎でした。

小中高を通して、「どうしてスカートの丈は膝下10センチでないといけないのか」「なぜ、肩についた髪は結わかないといけないのか」「鉛筆はよくてシャープペンシルはダメなのか」・・・。学校には謎のルールがたくさんありました。

教師に尋ねても「決まりだから」と言われるだけ。食い下がると、「面倒な子ども」という顔をされました。いつも判然としない、もやっとした思いを抱えながら、なんとなく過ごしていました。

でも、もしそれが「黙って従う国民(良民)づくりのリハーサル」だと言われれば、「なるほど、それは有効だ! と思えます。

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Posted by 木附千晶