機能不全社会(10/10)
私をはじめ、今の社会で親をやろうとすれば、いつでもだれでもやってしまいそう(言ってしまいそう)な親のエピソードを語られるクライアントさんがたくさんいらっしゃいます。
たとえば、兄弟や同級生と比べてはだめ出しをされたとか、経済的に厳しい両親が常に教育費の捻出に頭を悩ませていたとか、「大学にも行けないとまともな人生は歩めない」と小さい頃から言われ続けたとか、何かひとつ秀でたものを身に付けさせようと親が習い事にやっきになっていたとか、自分がいるがために両親が離婚できず喧嘩を繰り返していたとか・・・。
子どもの立場になれば
「こんなことが不適切な養育と言われるのでは、とても子育てなどできない!」というお叱りの声が聞こえてきそうです。
でも、子どもの立場で考えてみてください。子どもはたとえひどく虐待する親であっても愛されたいと願い、親が大好きで大好きで仕方がないものです。
そんな何よりも大切な親から発される何気ない一言や視線、小さなため息がどれほどのインパクトを子どもに与えるのかは容易に想像ができます。
親の小さなささやきが、子どもにとっては最大限のボリュームで拡声器から発された言葉のように聞こえてしまうことだってあるのです。
その事実を私たちおとなはもう少し認識するべきだと思います。子どもだった頃の自分を思い浮かべ、自分の言動が、子どもにとってどんな意味を成すのかを振り返ることも必要なのではないでしょうか。
子どもの成長・発達を犠牲にする社会
もちろん、自分ひとりが食べていくことさえ難しい今の日本社会で、親が懸命に精一杯の力で子育てしている事実は否定しません。
しかし、生き馬の目を抜く経済競争が当たり前。金儲けのためであれば危険な武器や原発を売り歩くことさえ賞賛される今の社会では、子どもに共感し、受容することはとてつもなく難しいことです。かなり意識的にしていないと、安心感や愛情を求めることが「甘え」のように思えたり、だれかを頼ることは「いけないこと」のように思えてしまうでしょう。