新型コロナと「新しい生活様式」5

子ども

 学校が再開しても、子どもたちを待っていたのは「新しい生活様式」を取り入れた日常とは違う学校生活でした。

「分散登校・分散クラスで、前後左右にはだれも人がいないし、話しをするのもはばかれる雰囲気」
「マスクを取っていいのは体育のときだけ」
「先生(教卓)との距離をうんと離して授業している」

 ・・・そんな話を聞きました。

 

学校教育は単に知識を得る場ではない

学校

 常々、このブログでも書いてきましたが、学校教育は単に知識を得るためにあるわけではありません。知識をつけるためだけなら学校など行かず、個々人が自分の家で学べば良いのです。

 学校教育が大切なのは、そこに「人との関わり」があり、それによって知識だけではなく、人が人らしく豊かに生きていくための力を身につける場所だからです。
 
 人は、人間関係を通して人格を形成します。学び合いや助け合いを経験することで共感能力を育てます。見つめ合い、相手の表情を読むことでコミュニケーション力を獲得し、自分とは違う存在・考えに触れながら自分らしい考え方を育てていきます。

 それには、感情を伝え合える距離やリアルな接触、肌と肌が触れ合う感覚、ぬくもりが伝わる行為などが不可欠です。

 こうした経験がなければ、子どもは自分のために生きながら、他者のことも考えられる幸せな人生を生きることができません。「ワクチンが出来るまで」「薬が完成したら」と言うかもしれませんが、子ども時代に獲得できなかったものを取り返すことは容易ではありません。

三密こそ子どもの権利(条約)の本質

先生と子ども

 私が関わっている子どもの権利のためのNGOでは、こうした流れに警鐘を鳴らそうと、機関誌に「“三密”こそ子どもの権利(条約)の本質」と、次のような記事を載せました。

「コロナウィルスの蔓延を回避するために、人同士の緊密な接触が禁止されています。“自粛”という名の下で、監視のための自警団も暗躍しています。死に際に手を取ることも許されません。
 緊密な接触は、人間、いや生きるすべての、愛情と幸せと相互理解の原点です。子どもが、自分らしく、人のことも考えられるような人間へと発達するためには、どろどろの人間関係と接触が不可欠です。コロナのために、『ねぇ、ねぇ』と呼びかける子どもや人との『受容的な応答関係』まで奪うことは、絶対に許されません。私たちすべての幸せのために!」

「接触禁止ありき」でなく

 子どもの成長・発達を考えるなら、まず、「接触禁止ありき」ではなく、コロナのなかでも「どうやって緊密な接触を維持するのか」を考えるべきです。

 不謹慎な例かとも思いますが、コロナで死亡するより、交通事故で亡くなる確率の方がずっと高いのです。
 
 それでも「車は事故があって危険だから廃止していこう」という話にはなりません。危険だからこそ、どうやったら安全にコントロールできるのかを学んだり、新しい技術の開発に努めています。

濃密な人間関係が必要

ふれあい

 コロナに対するときも、同じであって欲しいと思います。

 他者と接触しなければ、ずっと部屋に閉じこもっていれば、コロナの感染確率は確かに減ります。しかしそのために失うものの大きさを視野に入れるべきです。

 人が生きる意味は、たんに「生存している」ということではありません。豪華な部屋や食事を用意され、ゲームや漫画を山と積まれたら、たとえひとりぼっちでも私たちは健康で幸せに生きられるでしょうか。

 いや、そうではないでしょう。少なくとも哺乳類はそうした環境を生きられるような進化を遂げていません。どこまでいっても哺乳類である私たち人間が、幸福感や安心感を持ち、心の健康を保っていくためには濃密な人間関係が無くてはならないのです。

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